人間の記憶なんか信用できないから写真は偉大だし非難されてもどんな時でもどんな状況でも撮っておくことで、記憶がなくなっても呼び起こせるなって思った。撮ることで大事な瞬間にするのだ
昨年末に祖母がブっ倒れてまともに暮らせないので現在進行形で介護施設に入ってるんですけど、
眼もそんなに良くないし耳もまあそんなに(とか言ってたんですけど、聴六っていう補聴器があるんですけど家にいたときにそれないと聞き取れなかったのになんか、この8ヵ月で聴力復活してるらしくて聴六使わなくても聞こえるらしい…マジで不死身なのでは…)で、テレビとかラジオとか与えても見たがらない。だから部屋にない。
なのでなんか私の母親が家から持ってきた祖母が古いときの写真いっぱい持ってきて、枕元に置いてるんですけど
私学部から修士課程まで6年間写真の勉強してたことあって
で、ずっと「大事な瞬間は写真には写らない」って思ってたしそう教わってきたんですけど、
これみて案外そうでもねえな~となった
人間の記憶なんかマジで信用できないじゃん~?
多分まだ私とか、母親とかの年齢だと記憶の「断片」を呼び起こせばそれを辿って記憶を現前させることできるけど、多分もう祖母とかのレベルになるとその断片すら忘れてしまって散在してるんだと思うし。
それを写真が呼び起こすんだな~と思った。
自分が今何歳で、孫が何人いて、娘が何人いて、祖父はどうしてて、みたいなこと ほぼほぼ散ってるから
もしかしたら自分が27歳の感性で生きてるのかもしれないし 祖母
写真 撮られるの嫌いな人いっぱいいるし、私も撮られるの嫌だから写真の道に行ったんですけど(写真やってるって言ったらもれなく撮らされるじゃん?)
撮る場所とか状況によっては「不適切」とか言われたりするじゃん。アラーキーの陽子の棺写真然り。
非難されても撮っておくのは大事だなって思う。
撮るに足らないような毎日かもしれないけど、撮ることで大事な瞬間にするんだなって思った。
私超直観人間なので、やたらに「あ~あの時こうで~~」とか「あれは~」とか思い出すこと多いんですけど
曾祖母107歳・祖母92歳って来たらもう絶対私も長寿約束されてるじゃないですか…こっわ絶対嫌なんだけど。
安楽死の党に票入れとくべきだったかな(割と興味持ってて色々見たけど「…」という感じだった)
まあそう、とにかく記憶力がすごいんですけど、そんな私でも祖母みたいに記憶のテグスが切れる時はくるんだろうし
それは老いだけじゃなくてもしかしたらブっ倒れて脳の機能なくなったりするのかもしれないだし、
撮っておこう~って思った。つい最近フィルムカメラ全部手放したんですけどね…
って思ってアラーキーの発言とか調べてたんですけど、例の事件についてアレな人がうわ~みたいなこと書いててああああとなった…あれ絶対本人が書いてるだろ…